発表日 : 1999年 9月 2日(木)
タイトル : 熱作用を及ぼさない電波の強さでは脳(血液-脳関門)に障害を与えず
−生体電磁環境研究推進委員会の研究結果−
郵政省では、平成9年10月より「生体電磁環境研究推進委員会(委員長:上野
照剛 東京大学教授)」を開催し、電波の生体安全性評価に関する研究・検討を行
っております。
平成10年度研究においては、電波ばく露により血液-脳関門に対して影響があっ
たという実験報告に対し、ほぼ同様な電波の強さでの実験を実施し、熱作用(電波
ばく露によって全身が加熱されることにより深部体温が上昇する作用)を及ぼさな
い強さの電波ばく露(1週間)では、「血液−脳関門(BBB)」に障害を及ぼすような
影響は引き起こされないことを確認しました。
1 実験概要
携帯電話から発射される電波(1,439MHz、PDC方式)の脳に対する影響を調べる
ため、平成9年度研究においては、一般環境の電波防護指針値レベル(注1)で
の2週間及び4週間の電波ばく露の影響を調べ、BBBに対して障害を及ぼすような
影響が引き起こされないことを確認しました。
注1 脳局所SAR:2W/kg(携帯電話やPHSから発射される電波の強さはこの指針値レベルよりも低い。)
一方、海外において、より強い電波によりBBBに対する実験を行ったところ影響
が生じるとの報告があったため(注2)、平成10年度研究においては、この実
験条件を基に、下記の条件による影響の検討を行いました。
注2 ドイツのFritzeらは1997年に脳平均SARが7.5W/kgの時にBBBの透過性がこう進すると報告。
(1) 熱作用の影響がない場合
いき
熱作用を引き起こす閾値(全身平均SAR4W/kg)を超えない全身平均SAR1.4W
/kgにおいて脳部に強い電波(脳平均SAR7.4W/kg)をばく露。
(2) 熱作用の影響がある場合
上記条件の3倍以上(全身平均SAR4.5W/kg、脳平均SAR25W/kg)の電波をば
く露。
2 実験結果
BBB、脳組織の形態学的変化及び深部体温の変化について検討した結果、脳へのば
く露レベルが携帯電話よりも非常に大きな場合でも熱作用の影響がない場合には、
電波ばく露によるBBBに対する影響は認められませんでした。
3 今後のスケジュール
今後、同委員会では、携帯電話の使用と脳への影響との関係について、
2年間(ラットの一生に相当)にわたり、ラットの頭部に電波をばく露する実験
疫学調査について実施可能性を評価するための調査
等を行うこととしております。
関係報道資料「携帯電話の短期ばく露では脳(血液―脳関門)に障害を与えず」
(1998年9月29日発表)
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連絡先:電気通信局電波部電波環境課
担 当:堀内課長補佐、伊藤生体電磁環境係長
電 話:03−3504−4900)
別紙
実験の詳細
1 実験環境
(1) 共通条件
周波数、変調方式
1,439MHz PDC方式(我が国におけるデジタル携帯電話の変調方式)
実験動物
ラット36匹を下記の3条件に使用
(一条件当たり、ばく露群4匹、偽ばく露群4匹、対照群4匹)
(2) 個別条件
条件1:熱作用の影響がない場合の検討(4時間に1回のばく露)
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Fritzeらの報告(脳の平均SARが7.5W/kgの時にBBBの透過性がこう進)では、
脳の平均SAR7.5W/kgの時の全身平均SARが熱作用を来す閾値4W/kgを超えた4.2W/
kgであったため、深部体温の上昇を来している可能性が考えられる。このため、
本研究では全身加熱による深部体温の上昇を来さぬよう全身のSARを1.4W/kgと
熱作用の閾値を十分下回った条件で検討を行った。
(ア) 電波の強さ
アンテナ出力:6W
脳ピークSAR: 20W/kg、 脳平均SAR: 7.4W/kg、
全身ピークSAR: 33W/kg、全身平均SAR: 1.4W/kg
(イ) ばく露期間
4時間/日を1日(Fritzeらと同じ)
条件2:熱作用の影響がない場合の検討(1時間/日×5日のばく露)
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Fritzeらの実験では4時間の1回のばく露であったが、本研究では、独自のば
く露期間を設定した。
(ア) 電波の強さ
条件1(ア)の条件と同じ
(イ) ばく露期間
1時間/日を5日
熱作用の影響がある場合の検討として、全身平均SARを4.5W/kg(熱作用の
閾値4W/kg)と、条件1及び2の3倍以上の電波の強さを設定した。
(ア) 電波の強さ
アンテナ出力: 20W
脳ピークSAR: 66W/kg、 脳平均SAR: 25W/kg、
全身ピークSAR:108W/kg、全身平均SAR:4.5W/kg
(イ) ばく露期間
1時間/日を1日
2 実験の結果
(1) 血液−脳関門の透過性に対する影響
アルブミン免疫染色法を用いた検討を行った結果、条件1及び2において電
波ばく露による影響は認められなかった。条件3においては、電波ばく露によ
る影響がばく露終了直後(1時間後)に認められた。
(2) 神経細胞の形態学的影響
条件1〜3のいずれにおいても、形態学的変化は認められなかった。
(3) 高周波ばく露の熱作用の評価
局所の深部体温の上昇を実測した結果、条件1において頭部、背部、腹部、
いずれも高周波ばく露による深部体温の上昇は認められなかった(条件2では
測定していない。)。
条件3においては、高周波ばく露による明らかな深部体温の上昇が認められ
た。
3 考察
過去の研究報告のうち、電波ばく露がBBBの透過性をこう進させるという報告の
ほとんどが熱作用によるものと考えられている。
今回の実験では、条件3(全身SAR4.5W/kg)のみにおいて、ばく露直後にBBB
の透過性がこう進し、深部体温測定により深部体温の上昇が認められた。
今回行った実験においては、脳平均SARはFritzeらの実験とほぼ同じ強度である
が、Fritzeらの実験では全身平均SARが4.2W/kgと熱作用の閾値を超えてしまって
いるのに対し、今回の実験では1.4W/kgと熱作用の閾値を十分下回っていることか
ら、本研究の結果は、熱作用に影響されない、電波の脳に対する精度の高いもの
であると考えられる。
なお、BBBの透過性をこう進させる原因は、今回の実験により熱作用が考えられ
ることから、何らかの原因により全身が加熱され、深部体温の上昇をもたらすもの
であればその原因になりうると考えられる。
4 結論
脳へのばく露レベルが携帯電話よりも非常に大きな場合でも熱作用がない場合
には、電波ばく露によるBBBに対する影響は認められなかった。
(参考)
1 SAR(Specific Absorption Rate:比吸収率)について
生体が電磁界にさらされることによって単位質量の組織に単位時間に吸収され
るエネルギー量をいう。SARを全身にわたり平均したものを「全身平均SAR
」、SARを脳組織全体にわたり平均したものを「脳平均SAR」、全身のSA
Rのうち、最大のものを「全身ピークSAR」、脳組織のSARのうち、最大の
ものを「脳ピークSAR」という。
2 熱作用について
生体に吸収された電波エネルギーは熱に変わるが、この熱の発熱量が生体の体
表や呼気から放射される熱量に比べて無視できない程度になれば、熱が生体に蓄
積し、深部体温が上昇する。これがさまざまな生理学的影響を引き起こす。
熱作用の影響が生じる閾値については、全身平均SARで4W/kgという考
えが確立されており、これを基に電波防護指針が策定されている。
3 携帯電話端末等、身体に近接して使用する小型無線機等に適用する電波
防護指針(局所吸収指針)について
適用範囲:本指針は、周波数100kHzから3GHzまでに適用する。
対 象:身体に近接して使用する小型無線機等に適用できる。
主に、周波数100kHz以上300MHz未満で、電波の放射源との距離20
cm以内
周波数300kHz以上3GHz未満で、電波の放射源との距離10cm以内
なお、指針値は動物実験等の結果に基づき、十分な安全率をみている。
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管理環境(注1)
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一般環境(注2)
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全身平均SAR
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0.4W/kg
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0.08W/kg
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局所SAR
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任意の組織10g当たり
10W/kg
20W/kg(四肢)
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任意の組織10g当たり
2W/kg
4W/kg(四肢)
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(任意の6分間平均値)
平成9年4月電気通信技術審議会答申による。
注1:管理環境
人体が電磁界にさらされている状況が認識され、電波の放射源を特定で
きるとともに、これに応じた適切な管理が行える条件をいう。
注2:一般環境
人体が電磁界にさらされている状況の認識や適正管理が期待できず、不
確定な要因がある環境を示す。
4 血液-脳関門(Blood - Brain Barrier:BBB)について
血液−脳関門とは、脳毛細血管と脳細胞の間に存在し、高分子や水溶性分子の
通過を制限することにより脳内への毒性物質の侵入を防御し、また脳細胞周囲の
細胞環境(浸透圧、pH、電解質濃度(特にカリウム濃度))を維持する働きをし
ている構造の総称である。
BBBは、熱刺激、外傷、急性高血圧、脳虚血、けいれん発作等の際、その透過性
がこう進していることが確認されている。
もし、電波ばく露によりBBBの透過性がこう進するならば、発がん物質が脳内に
侵入することによる脳しゅようの発生や、てんかん発作、けいれんなどが電波ば
く露により引き起こされる可能性が生じる。
5 Fritzeらの実験について
Fritze(ドイツ)らは、1997年に下記の条件でBBBに対する影響調査のため
の実験を実施。
周波数 :900MHz
電波の強さ:脳平均SAR 0.3、1.5、7.5W/kgの3種類
変調方式 :GSM(0.3、1.5W/kg)、連続波(7.5W/kg)
ばく露時間:4時間
実験の結果、どの群においてもばく露直後後10匹のうち5匹は少なくとも1
個所のBBBの透過性が認められたが、脳平均SAR7.5W/kgのみに非ばく露群と比較し
て統計的に有意義な影響が確認された。
この実験における全身平均SARは4.2W/kgであり、全身加熱による深部体温の上
昇の閾値4W/kgを超えているため、全身加熱による深部体温の上昇により影響が生
じた可能性が指摘されており、全身加熱による深部体温の上昇を引き起こすこと
のない電波強度においてもBBBの透過性に影響を及ぼしうるかについての検討が必
要と考えられている。
このため、今回の実験では、脳平均SAR7.5W/kgがBBBに影響したのか、それとも
全身平均SAR4.2W/kgがBBBに影響したのかを明らかにするため、脳部に対してはほ
ぼ同じレベルの脳平均SAR7.4W/kgで全身平均SARを1.4W/kgに押さえた環境での影響
の有無の確認のほか、電波による全身の体温上昇の影響がある場合として全身平均
SARを4.5W/kgに設定し、局所の体温計測をばく露中に同時に行い体温上昇の確認を
行いながら検討を行った。
6 電波ばく露装置について
ラットの頭部に電波を局所的に照射するためのばく露装置は次のとおり。
(1) 構造
90x90x70cmの小型電波暗室内の電波発生アンテナの周りに、直径80mmのアク
リルの筒を4本放射状に設置し、各々のアクリルの筒にラットを固定する。
(筒の先端は先細りになり、その先端からラットが鼻先をだせるようになって
いる。また、ラットの位置を固定するために、ラットの後方に仕切り板を設置。)
ラットの体温上昇を防止し、かつ固定によるラットのストレスを低減させる
ために、ばく露装置の上部に取り付けたファンにより、温度制御された空気を
送風ダクトを通じてラットに通風する。
(2) 周波数
1,439MHz(実際の携帯電話通信で使用されている周波数)
以上の装置を、ばく露実験用および偽ばく露用に計2台準備した。また、電波
の外部への漏えいを防ぐため、シールドルーム内でばく露実験を行った。
7 ラットの群分けについて
頭部への局所に集中したばく露実験を行うため、これまでの実験で使われてい
たラット(Wisterラット)よりも身体のより大きな種類のラット(SD(Sprague-
Dawley)ラット)を用い、実験条件毎に、それぞれ12匹を4匹ずつ以下の3群に
分けた。
ばく露群 :ばく露装置にて電波ばく露を行った。
偽ばく露群:ばく露装置に、ばく露群と同一期間入れたラット群。実際の電
波ばく露は行っていない。
対照群 :実験期間中、通常の飼育ケージ内で飼育し続けたラット群。
8 血液-脳関門(BBB)への影響を検討するための方法について
BBBに及ぼす影響については、アルブミン免疫染色法(注)で検討を行った。
注:アルブミン免疫染色法
ラットのアルブミンにのみ結合する抗体を血液中に注入し、その後その
抗体を発色させることにより脳内のアルブミンを確認する方法。血管外の
脳内で発色が見られた場合、異常と判定される。
9 病理組織学的検討について
脳組織をヘマトキシリン-エオジン(HE)法により染色し、神経細胞の形態学的
変化の有無を光学顕微鏡により検討することとし、小脳における、プルキニエ細
胞の形態変化と、顆粒層の細胞密度の変化に着目した。プルキニエ細胞は、低酵
素、アルコール、疲労などにより変性を起こしやすい細胞であり、また、顆粒層
の細胞密度は、変性疾患により疎になる。
10 実験者
(1)動物実験
名川弘一(東京大学大学院医学系研究科教授) 連絡先:03-5800-8653
釣田義一郎(東京大学大学院医学系研究科大学院生)
上野照剛(東京大学大学院医学系研究科教授)
(2)ばく露装置開発
多氣昌生(東京都立大学大学院工学研究科教授) 連絡先:0426-77-2763
山中幸雄(郵政省通信総合研究所電磁環境研究室長)
渡辺聡一(郵政省通信総合研究所電磁環境研究室研究官)
「生体電磁環境研究推進委員会」構成員
(敬称略 あいうえお順)
あ べ とし あき
阿 部 俊 昭 東京慈恵会医科大学教授
い とう しん いち
伊 藤 信 一 モトローラ(株)標準統括本部技師長
うえ の しょうごう
委員長 上 野 照 剛 東京大学大学院医学系研究科教授
おおくぼ ち よ じ
大久保 千代次 厚生省国立公衆衛生院生理衛生学部長
おか ざき ひろし
岡 崎 宏 通信機械工業会常務理事
お の てつ や
小 野 哲 也 東北大学医学部教授
きく い つとむ
菊 井 勉 (財)テレコムエンジニアリングセンター理事
しら い とも ゆき
白 井 智 之 名古屋市立大学医学部教授
すぎ うら あきら
杉 浦 行 郵政省通信総合研究所総合研究官
た き まさ お
多 氣 昌 生 東京都立大学大学院工学研究科教授
たち ばな ゆたか
立 花 豊 (社)電波産業会研究開発本部次長
な がわ ひろ かず
名 川 弘 一 東京大学大学院医学系研究科教授
はぎ わら あさ ひこ
萩 原 旭 児 (社)電気通信事業者協会業務部長
ふじ わら おさむ
藤 原 修 名古屋工業大学工学部教授
ほん ま たけ し
本 間 健 資 労働省産業医学総合研究所健康障害予防研究部長
みや こし じゅん じ
宮 越 順 二 京都大学医学部助教授
やま ぐち なお と
山 口 直 人 厚生省国立がんセンター研究所がん情報研究部長